とある夏の日

 最初に会ったとき、その視線は年不応相な威厳に満ちていた。
 これが継承者かと思ったものだ……。

 町の貧民街で見かけたときは、そんな威厳など一欠片もなく、優しさに満ちていた。
 子供が好きなんだな、と思ったもんだ。

 戦場で視線を合わせたときは、喩え様もないぐらいの悲しみに満ちていた……。
 全てを捨てることの覚悟を、思い立った視線……。
 だが、俺はそんな視線だけは許せなかった。
 そして、はっきりと悟ったよ……。
 例え出会ったのが偶然であっても、お前と思うがまま生きたいことを……。

 そんな彼女に弓を向ける。
 不可能を、可能にすべく、俺は聖弓の狙いを定めた……。

 太陽の光が、鏃に反射し、俺の視界を塞ぐ……。

                       *

 「……ル、ファバル、どうしたの?」
 「……………………ん! なんだ……夢か……」

 ハンモックから身を起こす。
 どうやら、木漏れ日の中、俺はハンモックの上で寝てしまっていたみたいだ。
 頭を振り、意識を覚醒させる。

 「……わりい、眠ってたみたいだ」
 「大丈夫、うなされていたわよ?」
 「あ、ああ。大丈夫だ……大丈夫……」

 短く答えて、眠気の残滓を払っていく。
 俺を起こした、銀髪の女性の憂い顔を払うため。
 俺の表情が元に戻るにつれ、元の愛らしい顔に戻っていく。
 そして、彼女が口を開いた。

 「お茶にしない? 今淹れ終わったところだから」
 「……そいつはありがてえ……って、お前が淹れたのか?」
 「そうよ……うまく淹れたか、自信は余りないけど」
 「こいつは……参ったな。雇い人にやらせれば良かったのに」

 呆れた俺の言葉に、彼女は首を横に振る。

 「ううん。やっぱり、こういうことは、自分がしないと……せめて、貴方だけには」
 「……すまねえな。それじゃ、ちょっと待てよ……」

 ハンモックを降りようとする俺のために、ハンモックの片端をつかむ彼女。
 が、少し力を入れすぎたのか、いきなりハンモックが傾く!
 バランスを崩した俺は、彼女の方に倒れ込む!

 「え? どわああああああああああああ!!」
 「きゃあっ!!」

 ドササッ!!

 折り重なるようにして倒れ込む。
 俺が上で、彼女が下の、少しばかり、きわどい姿勢で。

 「っててて……大丈夫か? イシュタル?」
 「私は大丈夫……貴方が庇ってくれたから。貴方こそ腕は大丈夫? ファバル?」
 「んなことで壊れるほど柔な鍛え方はしてないって。ま、ハンモック持つときは余り力入れないでくれ……」
 「ごめんなさい……気を付けるわ」

 彼女の声に反応するように、俺は少しだけ、庇って回した腕に力を込めた。
 そして、彼女が何か言う暇を与えずに立ち上がる。
 勿体ないと思ったのは、言うまでもないだろうけど……。

 「さてと、雷神様の淹れてくれたお茶でも、いただきますか。冷めないうちに」
 「そうね、せっかくヴェルダン国王陛下にお淹れしたんですもの」
 「……それを言うなよ……国王なんて、ガラじゃねえ」
 「だったら、貴方も雷神なんて言わないで」

 少し怒ったような、けれどどこか甘い響きを持った抗議の声。
 俺はこの声を聞きたいがために、反撃を受けるのをかまわずに、思わず昔の渾名で呼んでしまう。
 ……相当参ってるな、俺も。

                        *

 聖戦が終わった後、俺はセリスの要請を受け、ヴェルダン王国領の平定に向かった。
 俺の親父であるジャムカは、ヴェルダン王国の第三王子だったと言う。
 母ブリギッドから継いだ聖弓イチイバルの継承者であるからユングヴィを継ぐべきだ、と言う旧世代の生き残りの貴族の意見が結構あったが、セリス王はその意見を抑え、俺に

  「ヴェルダンを治めてほしい」

と依頼した。
 血脈がどうのこうの言うのも、元々傭兵だった俺からしてみれば変な話だが、俺の血筋が、今山賊の跳梁跋扈に悩まされているヴェルダンの住人に役に立つというのなら、それもまんざらではないのだろう。
 即効性の治世が望まれているのなら、その贄になるのも、別に良いかと、俺は思った。

 元々、俺は一人で行くつもりだった。
 どこもかしこも聖戦という名の戦乱に国力は疲弊の極みにあった。
 俺は傭兵として、各地を渡り歩いてきたからそのことは重々承知していた。
 こんな時に、聖戦士と言う心の拠り所を引き受けていった場所から動かすことは出来ない。
 だから俺は、セリス王の援軍申し出を断り、解放軍の時の手勢のみを引き連れて、ヴェルダンに赴こうとした。
 が、その俺の眼前に二人の人物が立ちはだかった。

 「イシュタル……体はもう大丈夫なのか?」
 「ええ。貴方の弓の腕前でなければ、まだ駄目だったでしょうけどね」

 俺の問いに、微笑みながら返すイシュタル。
 フリージ公爵の第一公女であり、雷魔法の神器、トールハンマーの継承者。
 亡くなった魔皇子ユリウスの思い人。
 そして、立場は違えど、俺と同じく、泣く子供達のために聖戦を戦ってきた同志。
 そんな彼女が俺の前に立ったとき、その瞳は、正視に耐えないほど、悲しみに満ちあふれていた。
 そんな彼女を、俺は救いたかった。
 俺は、オイフェから聞いた、かつて親父が使ったとされるヴェルダン王家に伝わる弓技を以て、彼女を無力化させ、保護した。
 そして、俺は意識を取り戻した彼女に、俺の思いを全てぶつけた。
 その結果は、今、俺の目の前にいることが現している。

 「……で、どこに行こうとしてるの? 軍装なんか整えて」
 「これから、ヴェルダンの山賊退治さ。ま、すぐ帰ってくるからよ。ユングヴィ城かフリージ城で待っていてくれよ。ユングヴィのレスターやデイジーにはちゃんと言っておくからよ」
 「……私も行くわ。貴方のその赴くところに」

 彼女の申し出に、俺は少なからず驚いた。

 「い!! し、しかし……」
 「私は一度死んだ人間。トールハンマーは未だ継承者がいないため私が所持しているけれど、もうフリージは戻れないわ。ティニーやリンダ、アミッドには迷惑をかけられないもの」
 「じゃあ、ユングヴィに……」
 「雷神の頃の私の記憶は、まだ今の世には新しい物。レスターやデイジーがいくら押さえていてくれても、今の私にはその風評に耐えられるかどうかわからない……そうまで崩してくれたのは、貴方なのだから、責任はとってほしいところね」
 「ぐ…………」

 海千山千の貴族世界で生きてきたイシュタルだけに、その辺りの事情は俺には伺い知れない。
 確かに、言われて当然な事を、俺はしたのだから。
 それに、俺の手勢では望むべくもない魔法の援護も、彼女一人がいれば一騎当千の力になれることはわかっていた。

 「貴方の邪魔にはならないわ。お願い、私も連れて行ってほしい」
 「う、うーん……」
 「ファバル殿、私からもお願い申し上げる。イシュタル様を連れて行ってほしい」
 「ラインハルト……」

 かつてリーフ軍を苦しめたフリージ軍の名将、ラインハルト。
 彼はイシュタルの側近としてもその力をふるっていた。
 側でイシュタルを見続けた彼だからこそ、俺がイシュタルを助けたときはずいぶんと喜んでいてくれたが。

 「必要とあらば、私も今回の戦に同行しよう」
 「ちょ、ちょっと待てよ! フリージはどうするんだよ?」
 「妹やフレッド、アマルダ殿もいる。今のフリージに私という存在はいらない物だ。それよりも、イシュタル様が新天地に赴くとあらば、せっかく長らえたこの命、改めてイシュタル様、そして、イシュタル様のお命を救った貴公にお仕えしたいのだ」
 「……本気かよ……」
 「冗談ではこの様な事は言えないし、また、こんな軍装も整えまい」

 確かに、イシュタルも、ラインハルトもすでに軍装を整えていた。
 ここまでの覚悟を見せられては、俺もいかんとも出来なかった。
 かくして、俺は軍師としてイシュタルを、副官としてラインハルトを幕下に加えた。
 それが、一年前の夏のこと……。

                        *

 戦争自体は、聖戦に比べれば実にたわいのない物であった。
 統制の取れていない山賊達は、聖戦で鍛えられた解放軍にとっては物の数ではなかったし、なにより、魔法の援護がありがたかった。
 まあ、イチイバルとトールハンマー、二つの神器が揃っているのに贅沢すぎる、と言う言葉も聞こえてきそうだけどな。
 だが、神器ははっきり言ってほとんど使用しなかった。
 金が掛かるんだよ、二つとも……。

 程なくして全ての城を開放した俺達は、村々の長老達を集めて今後の統治方法に関して話し合った。
 その席上で出たのが、俺の国王としての即位であった。
 最初俺は断った。
 国王なんてガラじゃないし、政治もろくすっぽ出来やしない、長老の合議制でやった方がいいんじゃないか、と俺はとある傭兵団にいた時のシステムを説明した。
 すると、長老の一人はこういった。

 「そのやり方も諒としますが、やはり、その代表としての人間と、なにより、我々民衆に対する心の拠り所が欲しいのです。貴方のお父上はそれはもう、我々としてはあのお方こそ王位を継いでいただきたかったのです。そのお父上の血脈と精神を継いだあなた様なら、立派にこのヴェルダンの王位を全う出来ます。どうか、是非王位に!」

 ……背中がむずかゆくて仕方がないけど、俺の親父がこれほどまでに慕われていることが分かって、俺はうれしかった。
 そんな親父が愛したこの国を、守るのも良いじゃないか、そんな気がした。

 俺はヴェルダンの王位を継ぎ、イシュタルを宰相に、ラインハルトを大将軍として任じ領内の整備と治安の強化につとめた。
 ……夢中に一年が過ぎ、そして迎えた今年の夏。
 こうやって俺は、離宮のハンモックで少し居眠りできる余裕が、やっと出来てきた。
 まあ、離宮と言っても、バーハラで言えば小領主の館に毛の生えたような物だけど、でかくても仕方ないし、迎賓用のはまた別にあるからな。

 離宮のテラスのテーブルに、芳醇な香気を漂わせる紅茶のカップが二つ。
 一つを俺が、もう一つをイシュタルがとる。
 それを含んだ俺の口の中に、紅茶の香気が行き渡る。

 「うまいな」
 「……ありがとう」

 これだけで良かった。
 この一年、いろいろなことがあった。
 もっと早く助けられたらと、一緒に涙したこともあった。
 山賊を退治した時の、民衆の喜ぶ顔を見て、お互い笑えたときもあった。
 この国の政策を巡って喧嘩もした。
 そして、いつしかそんなに言葉が無くても、俺達は会話が成立していた。
 それが気づいたのは、この最近。

 「この雰囲気、いいな……」
 「そうね、こんな雰囲気、戦があっては味わえない物ね……」
 「ラインハルトも、ついに妻子をフリージから呼び寄せたみたいね」
 「そうかあ、これで家族揃って過ごせるんだな。良かったじゃないか」
 「ええ、本当にね」

 心からの笑顔を見せるイシュタル。
 その笑顔が傍らにいる、俺はもはや、はやり立つ心を抑えがたかった。

 「……イシュタル……」
 「なに、ファバル?」
 「俺達も……ラインハルトの家族ぐらいみたいに幸せになっても良いんじゃないか?」

 「?…………」

 きょとんとするイシュタル。
 さすがに、つたわらなかったのか、と俺が思った瞬間、イシュタルの白磁の肌に赤みが差す。

 「私で、良いの……」
 「今更なにを。お前がいたからこそ、ここまでくることが出来た。十年、二十年、いや一生、お前を見続けていたい……駄目か?」
 「……駄目なわけ、無いでしょう……ファバル、側に、いさせてね」
 「ああ、いつも、いつまでも、な」

 新緑の匂い立つ、離宮の庭での誓いの言葉。
 俺はこの夏、イシュタルと共にあることを、大陸全土に宣言した……。


                               FIN